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GP風音 担当●藤原樹マスター

PC「千沙姫
「君の鳥は歌を歌える」

PL柏葉ちまき


 チキチキ,ジジッ・・・.

 明け方の薄明かりが差し込む部屋の中に,はんだの焦げる臭いが漂う.こてを操っているのは,白く細い指先.それは機械とは無関係としか見えない娘の手であった.

 凛とした空気が漂う.

 真剣な面もちで,無心にこてを扱う娘の顔には,心なしかかげりが見える.それは華奢な外見がもたらすものなのか,それとも無機質なものと向かい合う者が持つ独特の雰囲気なのか.あるいは,その両方なのかもしれない.

 太陽が顔を出し,鳥たちが歌い出す.

 娘は「ふぅ」とため息をつき,席を立つ.窓の外では,小鳥たちがにぎやかに挨拶を交わしている.夜が明けるまで作業をしていたのだ.軽く伸びをして,部屋を出る.

 母の部屋を覗く.穏やかな寝息が聞こえるが,普通の人間とは明らかに違うところがあった.枕元からのぞく赤い蕾.エンゲージである.

 母がエンゲージを発病したのはおよそ一年前.その大きな蕾が示すように,死期を間近に迎えているのである.そんな母と二人で暮らす娘.細く華奢な体と同様に,繊細な心を持つ娘は,一心に母を支えている.

 たった独りで.

 政府調査団マイスターを統括する父は,家に戻ることがほとんどなく,病床の母を見舞うことすらめったになかった.しかし,それはいつものことだった.
 「仕事,仕事」と,いつも忙しそうな父.母がエンゲージを発病したときも,帰ってこなかった父.そんな父を嫌いになったのは,いつからだろうか.

 仕事中心に生きる父と違い情熱的な兄,満沙樹も,母の発病をきっかけに調査団に入団してしまった.無論,病を治すためであるが,娘にとってはつらい出来事であった.満沙樹は彼女にとって最も近く,大きな存在だったし,まだ十八の娘には支えが必要だった.兄を心配させまいと笑顔で見送った朝から,もう一年が過ぎようとしている.

 さみしい.

 学校を休学し,母の看病を,いや,母の側にいることを選んだ.それは,無情に時を進める神への哀願なのだろうか.もしかすると,母を独りにし,マイスターとして生きる父への当てつけだったのかもしれない.人のために生まれたオートマータを司る者が,人のために生きようとしない矛盾に抗うために.同じマイスターとして,人として,絶対許せない,とも思う.父が理解できない.

「父様・・・.」

 母の命を奪うために日に日に大きくなる蕾.それを見続けるのはつらいが,今は自分が母の支えにならなければ.少しでも元気に振る舞い,母に安心してもらわなければ.静かに眠る母を見つめながら,思う.

 視界が曇る.

 泣いてはいけない.まだ,泣いてはいけない.母に心配事を持っていかせるわけにはいかないのだ.兄を見送ったあの日,心に決めたのだ.母の前では涙をみせない,と.

 庭に出て,空を仰ぐ.
 強く唇をかみしめる彼女を,朝日が,鳥たちが優しく慰めてくれた.

 大きく深呼吸をし,落ち着きを取り戻す.朝食の準備をしなければ.母が病床に伏してからは,身の回りの世話はすべて独りでこなしてきた.そんな生活も既に一年が過ぎようとしている.

 セミくらいモラトリアムが長かったなら.

 キッチンでお湯を沸かそうとしていると,声が聞こえた.
「千沙姫なの・・・?」
「母様,無理しちゃダメです・・・.」
 起きあがろうとする母の背に手をかけ,助ける.
「目が赤いわよ?」
「え?き,昨日夜更かししちゃって・・・.」
 どきっとして,涙で潤んだ目をこする.
 ふふ,と優しく笑う母を見て,千沙姫と呼ばれた娘も微笑んだ.
「今,紅茶を煎れるわね.ミルクはどうする?」
「ええ,お願い.」

 キッチンに戻って,ほっと一息.
「ばれたのかと思っちゃったわ・・・.」
 無論母にはお見通しであるが.
 ティーサーバーにリーフを入れ,お湯を注ぐ.
「顔を洗わなくちゃ.きっとひどい顔・・・.」

 顔を洗い,鏡を見る.母親譲りのあでやかな黒髪は,年頃の娘にふさわしい.華やかではないが,透き通った泉のような印象をもたらす面立ちは,まさに在りし日の母そのままだった.
「大丈夫,いつもの私.」
 確認するかのように呟く.

 豊かな香りが穏やかな時をもたらす.

 二つのカップとミルクを持って母の寝室に入る.
「母様・・・?」
 目を閉じていた母が,静かに窓の外を見やった.
「もうすぐ・・・,ね・・・.」
 いつも通りの優しい声で呟く.
 鼻の奥がツンと痛くなる.目頭が熱くなり,母の顔が歪みはじめる.

 泣いてはいけない!

 哀しみに押し潰されそうな心の中で,必死に繰り返す.
 そそくさと,ベッド脇のテーブルにティーセットを置き,くるりと後ろを向く.
「朝食は何がいい?」
 努めて明るくしたつもりだった.

「無理をしなくてもいいのよ,千沙ちゃん・・・.」

 泣いてはいけない,と思う心とは裏腹に熱い雫がこぼれ落ちる.
 自分を厳しくマイスターとして教育した父,そんな父とは対照的に,穏和で優しい母.
 母がそうであるように,千沙姫にとっても母は半身であった.
「か,母様・・・.」
 嗚咽が漏れる.歪んだ視界の向こうで,母はいつもの通り優しく微笑んでいた.
「いらっしゃい・・・.」
 ベットの傍らにひざを突いた千沙姫の目からは,哀しみがとめどなく流れ落ちる.
「ご,ごめんなさい・・・,私,私・・・.」
 言葉が続かない.
 千沙姫と同じ黒い瞳は優しく,温かく彼女を迎え入れる.
「ありがとう・・・.」
「か,母様・・・?」
「今まで本当にありがとう・・・.あなたみたいな娘をもてて本当に幸せだったわ・・・.」
「・・・.」
 微笑む母の顔がはっきり見えない.ぎゅっと強く目を閉じるが堰にはならない.
「千沙ちゃんは,本当に頑張りやさんね・・・.あの人もいってらしたわ.」
「父様が・・・?」
「ええ,そうよ.あなたのことをとても愛しているわ・・・.そう,満沙樹や私のことも・・・.」
 遠い目をしながら母がいう.
「そんな!そんなこと・・・.父様は・・・,私たちの事なんて!」
「千沙ちゃん・・・.今はまだ分からないかもしれないけど,夫婦の・・・,いえ,家族の絆には距離なんて関係ないのよ.」
 微笑む母.
「・・・.」
 涙をにじませながら首を振る.
「そうね・・・.側にいて欲しいっていうのは当然あるわ.でもね・・・.」
 黒い瞳が母を見上げる.
「あなたにもいつか分かるわ・・・.そう・・・,好きな人ができたらね・・・.」
 ふふっとはぐらかすように笑う母.その顔は本当に幸せそうだった.

「でも・・・.」
「・・・?」
「千沙ちゃんの好きな人が見られなくて残念だわね.」
 予期せぬ言葉に,千沙姫はうろたえた.
 幼い頃から父にマイスターとしての資質を見抜かれ,英才教育を施された彼女.表に出て,同年代の子供たちと遊ぶこともなかった.相手はいつもオートマータたち.そのせいか,感情の表現,いや,自分の中にある感情そのものとのつき合い方がよく分かっていないようだ.自分の感情を,オートマータとは違うこの感情を,彼女は持てあましているのだ.
 外見からも表れている大人しげな印象は,このような生い立ちに由来するものなのだろう.
「どんな人を好きになるのかしらね.」
 そういう母の笑顔は,どこか懐かしさにも似た表情が表れていた.
「満沙樹・・・兄様・・・.」
 好きな人.ずっと側にいて欲しい人.
「そう・・・.」
 うつむく娘を見て,微笑む母.
「満沙樹は,あの人によく似ているものね.」
 そんなことはない,そう口を挟みそうになるが,ためらいを覚え口をつぐむ.
「でもね・・・.きっと千沙ちゃんのことを一番大切に思ってくれる人が,運命の人が必ず現れるわ.そう・・・,母さんみたいにね.」
 うっとりとため息をもらす母.
 本当にそんな人が現れるのだろうか.家族以外に自分を思ってくれる人がいるのだろうか.まだ自分には分からない.いや,分かる日が来るかどうかも定かではない.
「でも・・・,私・・・.」
「きっと現れるわよ.」
 手櫛で千沙姫の髪をすく母.
「ずいぶん長くなったわね・・・.」
 まっすぐ癖のない黒髪.伸ばしはじめたのは,いつだっただろうか.
「あの人を・・・,父さんをよろしく頼むわね.」
 少しさみしそうに言う母は,まぶしいくらいに綺麗だった.
「はい・・・.」
 静かに抱きついたとき,再び頬を熱い雫がぬらした.
「ありがとう・・・.」

 子供のようにしがみつく愛娘を優しく撫でる.肩のふるえが徐々におさまっていくのが感じられる.
「幸せになりなさい.」
「・・・.」
「あなたに残された時間,あなたが生きるべき時間を,精一杯生きなさい.」
 千沙姫がエンゲージキャリアになったのは半年ほど前のことだ.このまま,治療法が見つからなければ近い将来発病し,その若い命を散らすこととなるだろう.

「私に・・・,残された時間・・・.」

 治療法発見の目処は立っていない.
「私たちは・・・,父さんや母さんは,もうあなたの進む道を照らし示すことはできないわ.」
 母親としての最後の言葉.
「私には,千沙ちゃんや満沙樹,そしてあの人がいる.私が眠りについても忘れずにいてくれる人がいる・・・.私が幸せだったことを・・・,輝いていたことを覚えてくれている人がいる・・・.」
「はい・・・.」
 目を赤く腫らしながら答える.
「私を支えてくれた人がいるから,私は・・・,母さんは安心して眠ることができる・・・.」
「う・・・,ぐ・・・.」
 笑顔で話す母に,泣きながら頷く千沙姫.
「だから・・・,千沙ちゃん・・・.あなたも,あなたを支え,共に歩んでくれる人を見付けなさい.そしてあなた自身を輝かせるのよ・・・.」
「うあぁぁ・・・,母様・・・,母様・・・.」
 母は優しく肩を抱いた.

 どれくらい時間がたったのだろうか.
 千沙姫は母の膝で泣き寝入ってしまったのだった.その寝顔は,とても穏やかで.

 夕日が部屋を赤く染める.

「千沙姫・・・,幸せになるのよ・・・.」
 独り言のように呟く母に気付き,うっすらと目を開ける千沙姫.
「母様・・・.」
「大丈夫・・・,こんなに頑張りやさんなあなただもの・・・.きっと幸せになれるわ・・・.」
 母は目を閉じる.
「母・・・様・・・?」

「今までありがとう・・・.」

 蕾が赤いのは夕日のせいなのだろうか.風と共に少しずつ冷たくなっていく母の手.その手を握りしめながら,大きな声で母を呼び続ける.

「母様! お願い,目を覚まして! 私を,千沙を独りにしないで! かあ・・・さ・・・ま・・・,おねがい・・・.」
 暗闇に悲痛なすすり泣きが響く.来なければいいと思っていたこの時は,願い虚しくやってきてしまったのだ.
「誰か! 誰か,母様を・・・,満沙樹兄様・・・! 父様・・・.誰でもいいから・・・,母様・・・を・・・.」
 風の音に消え入る声.しかし,優しく慰める声は,もう聞こえることはなかった.

「お願い・・・.」

 夜空に月が顔をのぞかせる.

 泣いたところで,もう温もりは戻らない.過ぎた時間を巻き戻すことは誰にもできない.そんなことは分かっている.分かってはいるが涙が止まらなかった.部屋の隅で,独り泣き続けた.

 月が太陽なしでは輝けないように,人もまた独りでは輝けない.太陽を失うことは,闇の中に没してしまうことを意味している.もし失うことになれば,新たに求めなければならない.人が人であるために.しかし,失わないということはあり得ないのだ.これは,誰もが成長の過程で受け入れねばならない儀式なのだろう.
 そう,千沙姫にも大人としての一歩を踏み出すときが来たのだ.つらい一歩だが,踏み出し,そして越えなくてはならない.家族といえど,一生添い遂げることはできないのだから.

 月明かりに照らされる薔薇は,母のように美しかった.

 部屋に暖かな光が射し込む.
 鳥たちがいつものように歌で挨拶を交わしはじめる.窓からは,薄青色の空が見える.

 今日もいい天気になりそうだ.

 千沙姫は,そんなとりとめのないことを考えながら立ち上がる.自分の部屋に戻り,机に向かう.
 不思議と気持ちが落ち着いている.涙と一緒に哀しみも出し尽くしてしまったのだろうか.それとも,まだ母の死を受け入れられないからなのだろうか.

 机上には作りかけの翼が.

 マイスターとしての技能を生かし,機械仕掛けの小鳥を作ろうとしたのだ.母を喜ばせるために.しかし,この鳥が歌うことはなかった.歌う意義も失ってしまった.

 温もりを失っていく母を思い出す.

 母の命は,夕日の中で美しく花弁を広げた薔薇に奪われたのだ.ただ,ひどく現実味を欠いた夢のような出来事であった.しかし,それは覆ることのない現実である.

 心に空いた大きな穴.

 その穴を満たすものは何もなく,ただ暗闇の中に湖が存在しているだけだった.そんな心に,光を採り入れる為なのだろうか,千沙姫は窓を大きく開けた.

 風と共に思い出が駆け抜ける.

 風が湖面を波立たせ,静かに頬を濡らす.疲れのためか,心は痺れてしまっているが,体が哀しみを覚えているのだ.
「母様・・・.」
 ぽつりと呟く.
「私・・・,忘れません・・・.ずっと・・・,きっと・・・.」

「ありがとう・・・.」

 声が聞こえた気がした.

 日が高くなり,街もいつものざわめきを取り戻した頃,千沙姫は父に母の死を伝えることにした.父の携帯端末に連絡を入れるのは一年ぶりだろうか.

 プルルルル,プルル,ガチャ.

 すぐに繋がった.忙しい父にはめずらしい.
「千沙姫です・・・.」
「ああ.」
「あ,あの・・・,母様が・・・.」
「ああ,分かっている・・・.何も・・・,何もいうな・・・.」
 感情を押し殺してはいるが,父の痛みが伝わってくるようだった.
「お前にはつらい思いをさせてしまったな・・・.いろいろあって疲れただろう,しばらくゆっくり休みなさい.」
「父様・・・.」
「母さんのことは,私が手配しておく・・・.お前はゆっくり疲れをとって,早く学校の方に戻りなさい.」
「でも!それじゃ母様が・・・.」
「千沙・・・,家に残っていたのでは,お前自身つらいだろう・・・?」
 意外だった.いつも家族のことなど考えていないと思っていた父.そんな父から自分を気遣う言葉が聞けるとは思ってもみなかったから.
「それは・・・,でも,いいんです・・・.」
「お前はもう充分母さんに尽くしてくれた.もう家のことは心配しなくていい.それに,母さんにも頼まれているんだ.」
「え・・・,母様に・・・?」
「そうだ.千沙・・・,お前はもっと色々な人とつき合って,多くの経験をすることが必要だ・・・.家族としか打ち解けられないままでは,きっと母さんも心配だろう・・・.」
「・・・.」
 母は最後まで自分を心配してくれていたのだ.死に臨んでもなお娘を,家族を思うことを忘れなかったのだ.しかし,それよりもむしろ,驚くべきは,父が自分のことをここまで心配していることだった.
「わかったな,千沙.取り敢えず,お前は一週間ほど休みを取って,母さんの身の回りを整理してやってくれ.」
「はい・・・.」
「母さんを・・・,頼んだぞ・・・.私も明日までには必ず戻る.」
「あの・・・!」
「ん?どうした・・・?」
「あの・・・,満沙樹・・・兄様には・・・.」
「ああ,満沙樹には私から伝えておこう.」
「あ・・・,はい・・・.」
「しっかりな.」
「はい・・・.」

 明るく輝く太陽を,大きな雲が覆い隠し,一瞬あたりが暗くなる.しかし,すぐに太陽が顔を出し,もとの明るさに戻った.

 二人で暮らすには大きすぎる家.薄暗い部屋の中には,やわらかい光が射し込んでいる.そこかしこに染み込んだ母の思い出.そんな思い出に包まれて立ちつくす千沙姫.

 ベッドに横たわる母は,静かに目を閉じている.

 ふとベッドの傍らを見ると,ティーセットと共に綺麗な小箱と手紙が置かれていた.その小箱は,小さなオルゴール.そしてそこには,父と母の絆が納められていた.

 小さなエンゲージリングとネックレス.

 それは遠い日に,父が母に贈ったものだった.母は,それらを常に身につけ,また父も一対のリングを肌身離さず持っている,と嬉しそうに語っていた.それらを納めた小箱からは,母の言葉のような優しげなメロディが紡ぎ出される.

「あなたが一番輝けるように.」

 温かい紅茶のような色をした便箋に,母の文字でそう書かれていた.死ぬ間際に,自分は幸せだったと語った母.短い生涯であったが,とても幸せそうに輝いていた母.涙を流す千沙姫を優しく包んでくれた母.その手紙は,そんな母の唯一の願いであった.

「母様・・・.」

 泉に雨露を落とした様なつぶやきが響く.

「私は・・・,私に残された時間を・・・,わずかしかない時間を精一杯生きてみようと思います.母様みたいに・・・,幸せになれるように・・・.」

 羨ましいとすら思う.

 何よりも自分を愛してくれる人.いかなる時でも,どこにいても,信じ愛せる人.この小箱は,父と母のそんな関係の象徴なのだろう.キャリアの千沙姫に残された時間は短い.その短い時間の中で,そんな美しい小箱は見つかるのだろうか.

 見付けなくてはならない.

 母のために,そして何よりも千沙姫自身のために.モラトリアムはあまりにも短い.

「待っていては,ダメ・・・よね・・・.」

「母様・・・,私・・・,自分からやってみるね・・・.母様のように幸せになれるように・・・.私と共に生きてくれる人を見付けるために・・・.」
 千沙姫は目を閉じたまま,静かに,しかし強い決意と共に呟いた.

 外に出て空を見上げる千沙姫の髪が風になびく.追い風が,きらきらと光る雫がもてあそびながら,千沙姫のはじめての一歩を祝福する.

 部屋が夕焼けに染まる頃,父が帰宅した.

 父は母のもとへ行き,静かにたたずんでいた.何もいわず,ただじっと母の寝顔を見つめているだけだった.
「母様は本当に幸せそうでした・・・.」
「そうか・・・.」
 不意に語りかけてきた娘に答える父.それが当然であるかのように.
「みんなに愛されて幸せだったって・・・.忘れずにいてくれる人が・・・い・・・て・・・,幸せ・・・だって・・・.」
 うわずった声を上げる千沙姫を,父は大きな腕で抱きしめた.

「ご苦労だったな・・・,千沙・・・.」
「父様・・・.」
 肩を震わせる千沙姫の髪が父の鼻をくすぐる.
「そうだ・・・,満沙樹が・・・.」
 ふいに取り繕うように話し出す父.子供の頃のように,素直に感情を表す娘に,少し照れているのだろうか.
「兄様・・・が・・・?」
「どうしても,戻れないそうだ.まあ,満沙樹なりに父さんに気を使ってくれたんだろうがな・・・.こういうお節介なところは,本当に母さんそっくりだ.」
「ふふっ.」
 父の言葉に千沙姫は微笑んだ.
「やっと笑顔が戻ったな・・・.」
 目尻の涙は乾いていなかったが,笑うことはできる.まだ気持ちの整理はついていないが,少しは落ち着いて考えることができるようになった.しかし,本当に心から笑い,母を懐かしめるようになるためには,時間と場所が必要だった.そう,新しい自分を見付ける場所.千沙姫の力を,千沙姫自身を必要としてくれる人々のいる場所.

「父様・・・,私・・・,調査団に入ります.」

 微笑みを取り戻した娘を見て目を細めていた父は,少し驚いてみせた.そしてしばらく考えるような顔をしてから,大きな手で千沙姫の頭をくしゃくしゃと撫で,より一層目を細めた.

「頑張るんだぞ・・・.」
「はい・・・.」

 父は静かに目を伏せ呟く.
「千沙は,本当に母さんによく似ているな・・・.」
 その言葉を,首を振り静かに否定する.
「私は,まだまだ父様や母様のようにはなれません.でも・・・,いつか必ず母様のように・・・,このリングとネックレスが似合う様に・・・.」
「そうか・・・.」
 父は,母の思いを受け止めた娘を感慨深げに見つめた.千沙姫にとって母の死は大きな喪失感をもたらしたが,大きく成長する機会を与えたのだ.そして,はじめて自らの意思で旅立つことを決めた娘に,できる限りのお膳立てをしてやろうとも思う.

「母さん・・・,これくらいはいいよな・・・?」

「父様?」
 窓の外に広がる真っ赤な空を見つめる父に問い掛ける.
「ん?いや,何でもない.」
 微笑む父を不思議そうに見つめる千沙姫.
「満沙樹は確か・・・,第七調査団だったな・・・.よし.あそこなら問題なかろう.父さんの推薦ということになるが・・・,マイスターとして入団するというのはどうだ,千沙?」

「はい,お願いします.」

 背筋を伸ばし,透き通った声で答える娘を見て,父は少し寂しさを覚えた.

 母の簡素な葬儀も終わり,思い出の整理がついた週末.千沙姫は,調査団へ持っていく荷物を準備していた.

「母様・・・,見守っていてくださいね・・・.」

 母の遺影にそう告げると,母から贈られたオルゴール,愛用の工具や携帯型端末と共に,作りかけの翼を鞄に納めた.いつか,この小鳥に自分だけの歌を歌わせたい.そして,その歌声と自分自身を受け入れてくれる人に,出会いたい.千沙姫はそんな思いと共に,扉を開ける.

「行ってきます・・・,母様.」

 未だ見ぬ巣の外に思いを馳せ,雛鳥は旅立った.


「君の鳥は歌を歌える」・完


【微妙な用語解説】

エンゲージ
この世界で流行する謎の伝染病.空気などの媒体を介して感染し,キャリア(保菌者)となってから数年で発病.発病と同時に,体の一部に薔薇の刺のようなものが出現し,発病から丁度1年後に死に至る.死に至る時,刺から薔薇のような花が咲く.

調査団
エンゲージを解明し人類を救うことを目的とした,政府調査組織.仕事の内容によって7つに分けられる.

マイスター
オートマータをメンテナンスすることのできる技術者.高度な技術を必要とする.しかし,メンテナンスはできても,オートマータそのものを作り出すことは非常に難しい.

オートマータ
現代でいうところのアンドロイドのような存在.高度な技術で作り上げられた機械生命体とでもいう存在で,自らの意志を持つモノもある.耐久力の関係から5〜6年で停止するが,ボディのみを交換し,記憶を移植することで永久に活動することもできる.



【ちまきメモφ(..)】

    99年末に,1週間くらいかけてゆっくり書きました.
    実際にマスタァさんに送ったのは,WORD97で,縦書きの3段組で約9ページありました.
    何故この程度にそんなに時間がかかっているかって,それはもう単純に文章を書いたことがないからの一言に尽きます(^^;
    だいたい,縦書きの文書を扱ったこと自体初めてだったり(笑)

    キャラクターシートの個人設定の欄にもありますが,千沙姫の母親が亡くなる当日の朝から,5日間くらいを簡単に描写してみました.
    文頭は,母親のエンゲージが発病してちょうど1年後,すなわち死ぬ当日の朝です.
    当初は1週間くらい前から始めようかと思ったんですが,じめじめとした描写がだらだらと続きそうだったので,当日の朝からにしました.
    時間がなかったっていうのもありますけどね(^^;

    家族構成,状態なんかは文中でだいたい書いていますが,もう一度.

    千沙姫の父親は,調査団のマイスターを統括していることにしました.
    文末で,千沙姫を調査団にねじ込むだけの力を持たせるための苦肉の策って所です(笑)
    だって,普通なら兄妹で同じ部署なんてあり得ませんからね(^^;
    前半,千沙姫には仕事中心の堅物みたいな思われ方をしていますが,実際は見えないところで大きな愛を与えているって感じです.
    その辺りのイメージを,母親の発言から汲んで欲しいです(^^;
    母親が死んだ後,予定より早く帰ってきたのもその辺りの現れです.
    でも,それなら臨終を看取ってやれって気もしますが.
    これは実際の所,父と母が相談し,最後は母と千沙姫の二人きり(と満沙樹)でという事に決めたからです.
    自立のきっかけを作るためですね.
    満沙樹はこのことを知りませんが,そこはそれ,両親の考えを察しているからです.
    結果として,満沙樹は千沙姫の旅立ちのきっかけ(後述)にもなっているので,良かったのかと.
    ちなみに,父が千沙姫に厳しかったのは,技術者としての師弟関係があったからという一面があります.

    そして兄の満沙樹.
    彼の名は,このGP風音の藤原マスタァにつけていただきました.
    こっちで設定しなかったっていうのもあるんですが(笑)
    そんなわけで,この家族には名字が設定されていなかったりします(汗)
    なんとかしないとね(汗)
    #両親の名前もな(爆)
    年齢的には,千沙姫より2〜3歳年上(20〜21歳)といった雰囲気を考えていますが,いかんせん何も設定していません(爆)
    文中では,「情熱的」とかいっていますが,ちょっと微妙です(^^;
    こちらの思惑としては,在りし日の父そのものってイメージを描いています.
    千沙姫は,この兄にベタ惚れっぽいですが,満沙樹はそれを多少問題視しているのは確かです.
    彼女の兄に対する「好き」という気持ちは,一般的な父親に対する「好き」という気持ちに近いですが,異性としてみている部分もあります.
    この辺り,実際のお話(ST)の中で,どう流れていくか(恋人?が見つかるか)ってのが楽しみです.
    あと,千沙姫と父親との電話でのやり取りで,

      「あの・・・!」
      「ん?どうした・・・?」
      「あの・・・,満沙樹・・・兄様には・・・.」
      「ああ,満沙樹には私から伝えておこう.」
      「あ・・・,はい・・・.」
    というのがありますが,千沙姫としては,兄に直接帰ってくるようにお願いしたかったという思惑が隠れています.
    直接逢うことすらできなかったというのも,旅立ちに貢献していたりします(笑)

    母親.
    一般的な母のイメージで書いていますが,それではあまりにもつまらないので,ちょっとお茶目なところを.
    やっぱり娘の恋人を見たいってのはあると思うんですけど(ふふり
    この辺りは,母娘の会話って雰囲気が出ていたらいいな〜.
    父親とは対照的に,千沙姫を直接的な愛で包んでくれるような感じにしました.
    その愛の原動力は,当然父親から来るモノなんですけどね.
    この辺りのつながりを出すために,オルゴールと結婚指輪,ネックレスの話を付け加えてみました.
    「あなたが一番輝けるように」って言葉は何となく気に入っています.
    ちなみに,便箋の色はミルクティの様な色です.
    文中では,形容が細かすぎて書けませんでした(笑)
    千沙姫にとっては,理想の女性像ってことで.
    ちなみに,夫に看取ってもらわないのは,自分が泣いてしまうからっていう理由もあります.
    笑顔で別れたい,特に千沙姫には同じ女性として強く生きてもらいたいという思いを示すところです.
    ん〜,難しい(汗)

    千沙姫と身の回りのことについて.
    文頭で千沙姫が小鳥を作っているのは,彼女の父が個人的な研究,娘の教育用に作った小規模な施設です.
    決して千沙姫の部屋のイメージではありません(笑)
    この辺りは普通の女の娘ですから,間違えないように(笑)
    まぁ,今風っていうよりは大和撫子風なんですけど(笑)
    この家には,上記のラボ以外に機械的な施設はありません.
    オートマータも居ません.
    これは,金銭的都合ではなく母親の希望で実現しました.
    そのため,千沙姫は技術者としての教育を受けているにもかかわらず,妙に家庭的な部分があります(世間知らずではありますが)
    あと,長男の満沙樹が,マイスターでないのは,単純に適正の違いです.
    マイスターとしての教育自体は,やはり父から受けています.
    で,千沙姫にマイスターの適正があるのに,どうして文頭の小鳥程度が作れないかという事なんですが,彼女自身は制御系(プログラム)寄りのマイスターなので,駆動系(機械とか)はそれほど得意ではありません.
    人並み以上にできるのは間違いないんですけどね.
    携帯型端末(ノートパソコン)が,調査団行きの荷物の中に含まれていますが,これも制御系マイスターの現れです.
    どちらにせよ,まだまだ経験不足ですが.

    本文のまとめについて.
    本文中では,なんだか母の死を乗り越えて旅立ってしまった感じの千沙姫ですが,実際はそんなことはありません(^^;
    流れでそんな雰囲気になってしまったのは事実ですが(爆)
    泣きすぎて,さっぱりしてしまったって所でしょうか.
    ただ,調査団に行ってからは,若干ホームシックみたいな事になりますが.
    兄に会えたってのも大きいと思います.
    この辺りは,オフィシャルのSTを読んでみて下さい.

    感想とか.
    ん〜,やっぱ慣れないことはするもんじゃないですね〜.
    かなり苦労しました.
    だらだらと文章を書くのは好きなんだけど・・・(笑)
    まぁ,普段の(このサイトの)イメージからは想像もできないような,キレイキレイした言葉を並べていますが,この辺りが限界ですね.
    キャラの動かし方にもだいぶ気を使ったつもりだし.
    でも,そのおかげで,全体的に無難なべたべたな内容になってしまったような気もします.
    物書きさんはすごいっす.
    ちなみに,このプライベートリアクション(サイドストーリー)のタイトルは,同名のオムニバスアルバムから取りました.
    タイトルだけで,ここまでイメージを引っ張ったのは,我ながら妄想爆発かなぁとか.

    以上


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